すごい 雑感

思いついた事を書いていくところです

暑い毎日

北海道の夏は短い

 

と思われていたのは昔の事で

ここ数年の北海道は時々異常な暑さに見舞われます

 

とはいえ、100年くらい前にもこういう気温になった事はあった様子なので

(観測されている)

温暖化が、とかそう言う事ではなく

恐らくランダムで、低確率で発生するものなのだと思います

 

しかし、それにしても暑い日が続いていて

7月に入ってから37度まで上がり、日本で一番暑かった日もあったり

連続真夏日を5日くらい更新したりと

なかなか厳しい毎日を送っています

 

北海道が暑さに弱い理由として

一般家庭の冷房普及率の低さが挙げられます

さほど暑くならない事が多く、冷房は無くても過ごせる暑さが多いため

冷房必須と言う状況ではなく

結果、冷房設備が無い家も、まだまだあります

(最近はだいぶん冷房設備が整った家が増えたと思いますが)

 

私の住んでいるところも、冷房設備はありません

窓を開けるか、扇風機を回すくらいしかありません

そこでこの暑さとなると、なかなかこたえるわけです

 

 

朝晩に気温が低下するのであれば、まだ何とか大丈夫なのですが

現状窓を全開にして夜就寝しても

朝起きると家の中がまだ27度などあるため

大変寝苦しい日が続いています

 

早く涼しくなって欲しいものです

 

基本的に冬の方が好きな人間ですからね

勉強は楽しいのか

本来、勉強というのは楽しいと思う

 

と言うのも、社会に出てから初めてFEZと言うネットゲームをプレイしたり

カメラを始めてもう数年は経過している

ここ数ヶ月は投資信託の勉強をしている

 

そのどれもが楽しい

 

学校の授業は面白くなかったのに、何故これらは面白いのか

 

結論から言うと、興味があるから。であると思う

調べた事をすぐに使うチャンスがあり、知識を身につけた事により行動が変化し

行動の変化により、勉強が無駄でなかった事を理解する

このサイクルが、恐らく楽しさの一つの形だと思う

更に、その状況で新しい知識を身につけると、もっと出来ることが増え

更に楽しみが増える。更に勉強して知識を身につけたくなる

 

このサイクルに乗っかると、自分から勉強するようになる

勉強したことに対してテストの点が高いと言う事などの

「褒められる」や「良い結果を得る」という事による

成功体験を、自分で作り出す事が出来るからであろうと考える

 

失敗しても、何故失敗したかを考え

次は上手く行けるように努力するだろう

 

これが本来の勉強というか、学習であると思うのだけど

まあ、義務教育とか、教育機関においては

どうしても詰め込み授業になってしまうのも、仕方のないところだとは思う

人それぞれ興味と理解度は違うのに、みんなに同じものを教えなくてはいけないのだ

 

これは教わる方も大変だと思う

興味のない事を覚えなくてはいけないと言うのは

仕事であっても大変だし、そもそも仕事だと覚えた事を使うからまだ良いけど

ホントに生活に関係ない事を延々と覚えさせられても大変であろう

そりゃ興味が無くなるのも分かる。面白くないであろう

 

そして、教える方も大変だと思う

一人一人に教えることが出来るのであれば、指導もしやすいとは思うけど

40人を一度に指導するなんて、凄く技術的に大変だと思う

少なくても、今すぐやれと言われても、私は無理だ

(クオリティを気にしなくて良いなら出来るけど)

 

ある程度の基礎学力を身につけるためにも大切な事だとは思うけど

上手く興味を持たせて勉強する事も出来るのではないかと思うけどなぁ

 

だって小学生だってポケモンの名前沢山言えるでしょ

興味があれば覚えることは可能なのだもの

大人だってFGOのサーヴァントの名前と顔と宝具とか沢山覚えられるし

艦船の名前だって沢山覚えられる

沢山居るアイドルを全員言える人もいるだろう(私は一人も知らないけど)

 

勉強方法も、なんか上手い方法があるのではないかと思う

理学療法はそんなにも専門的で素晴らしいものなのか?

私の職業は理学療法士で、そう言う仕事をしながらこういう事を言うのも

ちょっとどうなのかと思わなくもないけど、まあ思う事を書いていくところである

書いていくことにしよう

 

本日の思いつきは、理学療法ってそんなにも凄いの?と言う事である

 

私の結論を先に言うと、理学療法が素晴らしいと思っているのは

恐らく理学療法士だけである

 

自画自賛も甚だしいと言う感じである

 

理学療法は、ゲームで言うところの、バフ職であるので

結局の所、アタッカーとタンクとヒーラーがいれば

回るんじゃないかと思うけど

そりゃバフも居た方が良いけど、必須でもないよね?と言う感じである

 

ゲームをしない人に説明すると

結局の所、理学療法士は患者さんのサポートをするのが仕事であり

メインで病気を治すのは、当然ながら医師(と患者さん自身)であり

現状において、医師がある程度治療の責任を取っている以上

他の職は殆ど全てがサブにサポートに回ると言う感じになるのは当然ではある

 

それなのに、理学療法士の職域を拡大します!とか

理学療法の専門性を生かして!とか言うけど

そんな専門性は果たしてあるの?と思ってしまう

 

と、書いていて思ったけど

恐らくどの業種でも、同じように自分たちの職域を拡大して

有利になろうとしているのではないかと

理学療法も同じようにしないと、どんどん肩身が狭くなってしまうので

こうやって発言しているのではないか?と言う事だ

 

それならばある程度理解は出来るけど

それにしたって、そう言う宣伝方法はどうなのかと思ってしまうけど

それも、他の職種との兼ね合いがあるから、どうしようも無いのかも知れない

 

物事の本質を見抜く事が大事だと常々私は思っているけど

どうにも、無駄な事が大好きな人がいて

無駄なことをしないと気が済まない人が大勢いる様子なので

本当に必要な事が出来ないのではないかと思っている

 

本当に必要な事は、患者さんのためになるような事をするべきであり

声を大きくして叫ぶ事ではないと思う

 

専門性とか、職域とか、そう言う事は

しっかりと仕事をしていれば、周囲から認められるものであり

自分たちから発信するものではないと思うけど、どうだろうか

 

背中で語る。と言うわけではないけども

そこまでの実力がないのに、必要以上に自分を大きく見せようとするのは

結果的に良くない結果が回ってくるのではないか

そう言う気がしてならない

 

 

思いの外長くなってしまったけど

まだ続きがあったりするので、また後日

オープン・ワールド

子供の成長がめざましい

 

育児ネタというほどでは無いけども

1年もしないうちに寝返りを習得し、ハイハイを習得し、つかまり立ちと

掴まり移動を既に習得している

平均的に1年前後で歩行能力を獲得する

 

子供にしてみれば、行動範囲がどんどん広がるし

獲得した能力に伴い、出来る事も増える

 

これを、オープン・ワールドと言わずして、何と言おうか

 

そんな事を思った今日であった

 

オープン・ワールドのゲームとしては

ゼノブレイドとか、ゼノブレイドクロスとか

その辺しかプレイしていないけど

まあ、こういうゲームだという事は知っている

 

ハイハイとつかまり立ちを併用し、今まで行けなかったところに行き

掴めなかったものを手にする事が出来る

自分が今まで見たことが無く、どうやって使うのかも全く分からない謎のアイテム

そんなものが、次々と出てくる世界というのは

どんなに楽しいのだろうと思う

そのうちに歩行というスキルを身につければ、更に行動範囲は広がる

家の外という世界も見たときに、何を思うのだろうか

(FF3で浮遊大陸から出たときは驚いたけど、あんな感じかな?)

 

オープン・ワールドのゲームが人気なのは

もしかしたら、日常生活でワクワク出来なくなってしまったからかも知れないと

そんな事を思ってみたりした

 

しかしながら、実際の所

人間一人が知る事の出来る範囲というのはごく限られていて

知らない分野に行けば、どんどん新しい発見があり

いくつになっても好奇心を満たすことが出来るとは考えている

それを面倒と思うかどうかの違いだと思うし

今やこうやってインターネットが発達したこともあって

色々な事に手が出しやすい時期になっていると思う

 

齢を重ねても、新しい事に触れ続けて行くべきだと思った今日でした

「できる」と「している」の違い

「歩くことが出来る」と「普段歩いている」は違う事は分かると思う

例えば小さな子供が歩きを覚えて、2歩3歩歩いては転ぶ時は

「歩くことが出来る」状態ではあるけども「普段歩いている」とはならない

 

理学療法士として働いていると

歩けない人を歩けるようにすると言う仕事内容が頻繁にある

そのため、実はこの「できる(能力がある)」と「(普段から)している」の違いは

実は大きなものだったりする

寝たきりの人が理学療法というバフを盛りまくって何とか「歩く」事が出来た事を

つまり「(バフを盛れば)歩ける(能力がある)」と言う事を

カルテに書き込んでおくと、何故か看護師さんをはじめ、多くの人には

バフを盛った事を排除され「(普段から)歩ける」能力を持っていると認識されてしまう事が多い

 

この違いはどこから来るのだろうと思うけど

運動に対する考えの違いなんだと思っている

 

理学療法は運動は「出来ないもの」を「出来るようにする」という

結果として出来るものであるから、バフが必要だし

常にバフをかける事で「出来る事」を増やして行く事を仕事にしている

つまり「出来ない」のがまず前提に来ている

 

一方で、歩行というのは普段から誰もが何気なく行っているものなので

「それが出来て当たり前」というのがそのほかの医療職の考えでは無いだろうか

 

 赤ん坊ならいざ知らず、成人は皆歩行できるものと考えている人が多い

 

このあたりが、理学療法士の視点だと違うのだろうナァと思ったりする

 

おおよそ病棟での意見食い違いがこの辺から来ているので

少し考えてみたところである

理学療法士が凄いわけでも、他の職種の見方が変というのでも無く

結局の所、見方が違うと言うだけのお話であり

きちんと話し合いが出来れば、問題なく解決出来ると思うけど

きっと、お互いに発信能力と受信能力が低いので

(と言うよりチャンネルが合っていないのだと思う)

上手くかみ合わない事が多いのだと予測

 

情報伝達は難しいと言う内容になってしまい

結局「できる」と「している」の違いに関してあまり書けなかったのが残念

車検と健康診断

車検というのは良いシステムだと思う

2年か3年に1回は車のチェックを行い、壊れそうなところを早期発見し

早めに直してしまう事で、車が致命的に壊れる事を予防するのだ

 

しかし、何故か人間は自分の身体となると、病院に来ない

車検は受けないと公道を走る事が出来なくなるけど

人間は健康診断を受けなくても生活出来てしまう

結果として、致命的な病気になってから病院に来る事が多く

もっと早くに治療を開始していれば

こんな事にはならなかっただろうに。と言う事も多い

 

時々職場の検診は意味がないと言う事も言われているけど

それで悪いところが見つかる人も稀にいるし

むしろ、そうやって検診する確率を上げると言うのが

大事な事ではないかと私は思う

 

健康診断で見つかった病気に関しては

格安で治療を受ける事が出来るとか

長期になった場合、入院中の生活を保障するとか

そういう風に早期発見・早期治療する事の大切さを

もう少し考えても良いのではないかと思う

 

何度も書くけど、病院で治療すると言う事と

車のパーツを取り替えるのは、違う事なのだ

 

 

と言うわけで、今回から思いつきシリーズ開始です

大体400~500文字前後でまとめる予定です

一発書きなので、どう話が転ぶか分かりませんが

お題箱の中身なども含めて、お話して行ければと思います

皆様、どうぞよろしくお願いします

何か書こう

何を書けば良いか分からないときは

適当に何か書けばアイディアがどこからか舞い込んできて

何とかなる事が多いので、今のところ何もアイディアは無いけども

適当に書いていこうと思う

 

最近あった事

図書館で本を借りた

投資についての本を中心に借りたけど、大体知っている内容だった

ウォール街のランダム・ウォーカー」は良い教科書だったと思うけど

とにかく内容が難しい。知識が必要なので読みにくい

「敗者のゲーム」の方が読みやすいし、ためになった

ランダム・ウォーカーは、バブルに至った経緯とか、世界各国のバブルとか

過去の経済に関する事を詳しく書かれているので

やはり人間過去から学ぶ必要はあると思うので、良い本なのかも知れないけど

肝心の「じゃあどうすればいいの?」という部分が少なかった気がする

まあ、良い方法なんか分かればみんな使うから

そんな方法なんて無いんだとは思うけども

 

楽して、短期間にお金が増えるなんて事は

絶対に無いと思うけど、人間と言うのは欲があるから

どうしてもお金が素早く増えると聞くと

動いちゃうんだろうナァと思う

よく考えれば、そんな事おかしい。って事にも気づくはずだ

 

そんな事を書いているうちに500文字くらい来ている

一度に内容の薄い本分をそんなに大量に読むのは大変だろうと思い

一回の記事は400文字前後としたいと思っているけど、伸びてしまった

 

ともかく、お題箱というのを設置してみたので

こちらにお題を入れて貰えれば、私がそれについて考えている事を書きます

皆さん、こちらにお気軽にお題をどうぞ

荒堀さんのお題箱

 

来ると嬉しいですが

来なくてもそりゃ書き続けますのでねw