すごい 雑感

思いついた事を書いていくところです

理学療法士の視点から見た「だっこひも」の特徴

たまには仕事の話をしないと

一体お前は何物なんだと言われそうなので

本日は写真ではなく真面目なお話を

 

まあ、真面目と言っても最終的には変な方向に走るのが

私の文章の特徴なので、この文章もさしたる意味はありません

せいぜいあるとすれば

理学療法士が首がすわってない子供用のだっこひもを使った場合の感想」が

書かれているところでしょうか

 

小児科などの専門の医師が見た方が良いでしょうが

理学療法士はどういうところを見ているのか

と言う事が理解して貰えればありがたいです

 

さて。本題に入っていきましょう

 

生まれたばかりの子供は、首がすわっていません

頭を支える事が出来ないので、前後左右に頭が強く振れてしまい

おんぶをした時には落下の危険性がある事や

首にある大事な神経が物理的に切れてしまう危険性があるわけで

首がすわるまでは、おんぶが出来ないため

普通に手でだっこをする以外は

「だっこひも」という道具を使うしかありません

 

今回は、有名な二つのだっこひもを運良く見ることが出来て

更に、両方を首がすわる前の子供に使う事が出来たので

そのお話をして行きましょうと言う事です

 

試験できたのはこの2つ

アマゾンでも上位にある人気なだっこひもです

 

ベビービョルンのオリジナルタイプ

www.babybjorn.jp

 

エルゴベビーのオリジナルタイプ

www.ergobaby.jp

この2つです

 

ビョルンの特徴は

・だっこは出来るがおんぶはできない。おんぶは別のものを買い足しが必要

・追加パーツ無しでだっこが可能

・腰を支えるベルトが無いので子供が重くなると(エルゴより)腰に来る

・だっこだけを考えるとエルゴよりも装着がかなり楽

・子供の股関節にも良さそうである

 

エルゴの特徴は

・だっこからおんぶも出来るので長期間使う事が出来る

・首がすわる前の子供をだっこするにはオプションパーツ(4000円くらい)が必要

・オプションパーツをつけてだっこすると構造がイマイチよく分からない

・適切に使わないと子供の股関節にはあまり良く無さそうである

・適切に使うのがパッと見では難しい(ビョルンの方が簡単)

・模造品が多く公式HPでも注意を促しているため偽物に注意が必要

・腰ベルトもついているので長時間のおんぶ・だっこに強い

 

股関節云々は個人の感想です

両方とも医師の監修を受けて作られている様子ですが

PT的には、股関節の具合や、着脱の簡単さに関して、だっこに限って言えばビョルンの方が良いのではないかと思いました

 

ただ、ビョルンの場合おんぶひもを別途購入しなくてはいけないので

おんぶを行う場合は、エルゴを使用するか、昔ながらのおんぶひもを使うのが

良いのではないかと思います

 

経済面を考えれば、ビョルンが6000円前後

エルゴのオプションパーツが4000円前後という事もあり

だっこはビョルン。おんぶはエルゴを使用した場合約2000円の違いがあります

そしておんぶが出来るようになるとだっこひもの出番は少なくなるので

結局のところ首がすわるまでの間にどれだけ使うかと言う事ですから

これは評価が分かれそうな感じがします

 

だっこに特化したビョルンと

おんぶまで使えるエルゴでは、そりゃあ作りも専門分野も違うよなぁと

思ったわけでした

 

オチ?特にありませんよ

今回の話をまとめると

「ひとつのもので全ての事に特化は出来ない」

と言う事ですね

ひとりぼっち惑星

いわゆる「スマホゲー」をしないと思っていた私ですが

このひとりぼっち惑星はプレイしています

 

ガチャがあるわけでもないし

特に覚える事があるわけでもない

 

ただひたすらに

説明のない世界を

自分で解釈して読んでいくと言う

 

このゲームをする事自体がゲームな感じです

 

まあ、大雑把な内容としては

人がいなくなった星でひとりぼっちアンテナを立てて

宇宙からの声を受信すると言う事が目的です

 

どうやってアンテナを立てるかというと

星の上ではジンコウチノウが戦っており

それらが壊れた時に部品を落とすので

フリックでそれらを集め

アンテナを立てると言う事です

 

受信した声も、ただひたすらに

淡々と自分たちの状況を語るのみです

なぜ宇宙から声を送っているのか

自分たちがどこにいるのか、自分たちの状況

 

そんな事をわずか数通の声が届くのみです

 

 

それでも、影絵のようなシンプルな絵柄

ジンコウチノウが戦う様子

落とす部品

もの悲しい音楽

 

全てが上手く組み合わさり

とても退廃的な雰囲気を出しています

 

決してプレイして爽快感があったり

ワクワクするような内容ではありません

どちらかというと、バッドエンドの映画のような

むしろ、バッドエンド後の世界を

救いのない世界を描いている感じがします

 

iOSでもアンドロイドでも出ているみたいです

興味のある方は、是非プレイしてみては

篠山紀信展を見てきました

地元で開催されている写真展

篠山紀信展 写真力 を見に行きました

 

正直な話、写真撮影は好きですが

人物写真はあまり撮影しない事と

芸能人は殆ど知らないと言う事もあり

あまり期待していない状況でしたが

それでも、あそこまで大きな写真にすると圧巻です

凄いなぁと思いますね

 

なんで人物写真を撮影しないかと言う事について

ふと考えてみましたが、私は撮影対象としての人にあまり興味が無いのかも知れません

 

街を歩いていても、周囲の人にぶつからないようには歩きますが

どんな人が歩いているのか、そう言うところまでは考えていない気がします

例えば小さな子供や、年配の方など

突然歩行の方向性が変わったり、転倒したりする可能性のある人は

それなりに注意して、ぶつからないようにはしますが

普通に歩行している人は、殆ど動く物体としか見ていないのでしょう

 

だから、街中で知り合いに会ったとしても

よほど私が暇で周囲をよく見ていない限り

(移動中などの場合は特にですが)

私の方からは気づかない事が殆どなのでしょう

 

そんな状況なので、人を見分ける力というものが特に鈍く

相貌失認では無いかと思うくらいなのですが

特に芸能人などは殆ど知らないため

この写真展の表紙を飾るジョンレノンとオノヨーコがちゅーしてる写真も

私はまるで誰を撮影したか分からない上に

「この写真、男性同士のキスショットを表紙に持ってくるとは

 やはり写真家というものは凄いな。これが芸術なのか」

などと思ってしまうくらいです

 

よくよく見ると、左の方は装飾品から察するに、女性なのか?

とここで気づくほどの観察力の無さというか

人の顔を知らない具合というか

まあ、見ず知らずですがオノヨーコさん済みませんと言う感じではあります

 

まあ、そんなわけで、人物写真というのは「作られた写真」だな

と言う事を強く感じました

撮影するためにカメラマンだけでなく、メイク・衣装・環境など

色々なものが組み合わさって、写真になっているんだなぁと

 

普段私が撮影するのは、なるべく自然のままを撮影したいと思っていて

人物写真を職場などで撮影するとしても、スナップ写真的な

その人のその時の場面を撮影しようと思うので

撮影のために止まって貰う事もないし、編にポーズをしてもらう事もない

 

だから、今日の写真は

私が撮影したいものと真逆にあるものなのかも知れない

そんな事を感じました

 

写真というのは、見る人によって色々な見方が出来ます

万人に100点を貰える写真は無いけど

それが良いところじゃないかと思いました

 

まあ、ジョンレノンと言う名前は流石に知っていましたが

(勿論ビートルズも知っています。曲だって知ってます

 ただ、顔を知らないのです。覚えられないのかも知れませんけど)

彼が既に亡くなっていると言う事は知りませんでした

 

まあ、私の芸能人に関する無知っぷりは

こんな感じですw

ガルパン映画感想

ガルパン

正式名称ガールズ&パンツァーの映画を見てきました

 

実は2月27日からガルパンTV版の1~4話を見ただけなのですが

映画の日で安いと言う事もあったり

大変人気であると言う事から行くことに

 

行った人の反応が皆一様に

ガルパンはいいぞ」

としか言わないので何かあるのかと思っていたけど

映画を見た感想は私もやっぱり

 

ガルパンはいいぞ」

 

でありました。

 

では何が良いのか、少しずつ考えて行きましょう

 

1:舞台が恐らく北海道 十勝

2:戦闘がとにかく熱い

3:誰にでもお勧め出来る方向性

 

ではそれぞれについて各個撃破です

1:舞台が恐らく北海道 十勝

これは非常に個人的な理由ですが

後半戦が行われたところが、私の住んでいるところであろうから

非常にポイントが高いと言う感じです

いわゆる聖地ですね

タウシュベツ橋があったり

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グリュック王国が出たり

(恐らくあの遊園地跡の描写で

 大洗チームが展開している時の背景は、間違いなくグリュック王国

 何故分かるかって?そりゃ昔に入った事があるからだよ!)

 

もしかしたら、タウシュベツ橋から砲撃しているところを見たり

グリュック王国という事で、あの戦闘しているところを十勝だとすると

あの丘陵地帯は、ナイタイ高原では無かろうか。と言う予測も出来る

(実際はタウシュベツからナイタイ高原までは直線でも13kmほどあり

 あれでは砲撃は出来ませんが。そもそもタウシュベツからグリュックまで

 遠いと言う事もあるので、距離に関してはそこまで正確性を求めないかも)

 

やはり地元が出ているというのは嬉しいものです

十勝にもガルパン目当てで来てくれる人が居ると良いなぁと思います

ただ、タウシュベツ橋は夏に行くと実はあそこはダムの底なので水没していたり

もし水が無くてもヒグマと遭遇する確率が高いのと

グリュック王国は閉園しており、無理に入ると警備員が飛んできますので入れません

 

ただ、あの遊園地跡はグリュック王国だけではない様子で

色々なテーマパークを混ぜている様子です

グリュックはあんな山みたいなところは無かったと思いますし…

 

 

2:戦闘がとにかく熱い

もうね。凄い。ハリウッドもかくやという戦闘シーンです

戦車にこんなにも沢山の種類があるなんて知りませんでしたし

小さい戦車はどうするの?と思っていたらやっぱり使い道があるんですねぇ

若干スピード感があふれすぎな感じもしないこともないですが

映画だしそんな細かい事を気にしてはいけないのかも知れません

とにかく、戦車が走って、飛んで、撃ちまくる

映画館の大音量で主砲を放つ

戦闘シーンが多くを占める映画ですが

その戦闘シーンが熱いと言うのは大事な事だと思いました

 

 

3:誰にでもお勧め出来る方向性

ここが一番のオススメポイントじゃないかと思うんですよ。私は

それは何かって、人を選ばない映画だと思うんですよ

そもそも戦車での戦闘を見ても面白くないと言う人も居るとは思いますが

しかし、戦う理由や根底のスタンスが

いわゆる「スポ根漫画」のノリなのですよ

映画版ならではの非常に強い相手と戦う時に

今までライバルだった学校や選手が力を貸してくれて

「みんなで力を合わせて勝ちを取りに行く」という内容になっています

 

「味方を信じる」とか「勝つために自分の出来る精一杯を行う」とか

そう言う勧善懲悪に繋がる、スカッとした方向性

それをガルパン映画は出していると思うのです

だから、見た後に爽快感があるし、ガルパンはいいぞ。と言ってしまうのでしょう

 

キャラが多いので、恐らく何度見ても楽しめるとは思いますが

今回はとりあえず1回だけ映画を見てみたので、その感想でした

しっかりとTV版を見てから映画に行くべきだとは思いましたけどねw

 

とりあえずガルパン映画版を見ようか悩んでいる方へ一言お送りしましょう

 

ガルパンはいいぞ

感想『「やりがいのある仕事」という幻想』

作者:森博嗣

タイトル『「やりがいのある仕事」という幻想』

 

を読み切ったので感想を少し書きましょう

2016年1月19日の夜はTwitterに接続出来ない状況が続いているので

こちらに書いておく事にします

 

さてこの本ですが、大変面白く読めました

書いてある事は至極もっともな事を書いており

別段目新しく無いのですが

この作者は「自由」が好きなんだなぁと思える一冊でした

 

非常に端的に内容をまとめると

 

・仕事はやりがいが無くても良いじゃないか

 

・生活に必要なお金を稼ぐために仕事をしているのだから

 お金があるなら仕事をしなくても良いし、お金が無いなら仕事をせねばならぬ

 (生活するためにはお金が必要だ)

 

・仕事をしているから偉い、していないから偉くないと言うのは間違いである

 

と言う事がメインでしょうか

 

身も蓋もない事を言う切り口がやっぱり面白くて

ついつい何度も読みたくなりますね

自分の文章に影響を与えたのは、滝本達彦さんと森博嗣さんだなぁと思います

 

私はドライな人間と言われる事も多いのですが

物事の本質を大事にしたいと考えているので

本質に関係しない事は、正直どうでも良い事だと思う時もあります

(いわゆる見栄とか世間体とか)

(その辺をもっと気にしろと周囲から言われるあたり、無頓着なのでしょう)

物事で大事なのは、中身だと思っています

 

やっぱり大学の先生をされていただけあって

学生をよく見て居るんだなぁと思える文章でした

恐らく中学生・高校生あたりが読むと面白いと思いますが

「仕事は大変なものなんだ」と教えてきた事を崩してしまう意味でも

あまり良くないのかも知れませんね

 

私はこの本からすると、とても幸せな環境で

自由なんだなぁと思えました

仕事は辛いことはあるけど、別にそれほど苦になるわけでもないし

(辛い事もあるけど、どちらかと言うと楽しい事も多い)

お金も働いた対価としては大満足というか貰いすぎじゃない?と思えるくらいだし

(楽しいことをしてお金が貰えるとか最高じゃないの)

家に帰ってもやりたい事があるし

 

むしろ自分のやりたい事(ネット・読書・ゲーム・撮影などなど)のために

仕事が出来ると言うこの環境が、悪い事じゃないと思っていましたが

やっぱり良い状況のようで、一安心したところです

 

この本で一番心に残ったのは

「今損をして将来に得を取るか、今得を取って将来に損をするか」

「人間は将来の得のために、今は少し不利な事でも我慢できる」

と言う事でしょうな

 

この作者のエッセィはあまり読んだことが無かったけど

面白いので今後も読んでみようかと思ったところです

 

仕事に行き詰まった時、やめたくなった時

就職する・働くと言う事が怖いときなど

色々な時に読むとそれなりに効果が高そうですが

今バリバリと仕事に燃えている人には

あまり効果が無さそうかなぁと思ってしまいます

(そもそもそう言う人はこういうタイトルの本は読まないでしょう)

メイドインアビス

最近はまっている漫画を本日は紹介です

 

今更と言われるかも知れませんが

「メイドインアビス」という漫画に大はまりしています

 

可愛らしい絵柄から想像もつかないほどの絶望と死と

ほんの僅かな希望が見え隠れしています

 

冒険家の母親が待つアビス<奈落>の底を目指して

ひたすら下へ下へと潜ると言う内容ですが

 

1:ファンタジーなのにあっさり死ぬ。モンスターも強い

2:あっさり死んだら生き返る手段無し

3:ポーションや薬草のようなHP回復アイテム無し

4:食材も自力調達

5:下に潜るのは良いが上に上がると(深度が深いほど)ダメージが入る

 

ざっと思いつく限りでもこのくらいのハンディキャップの中を

下へ下へと潜っていくのですね

 

言うなればデモンズソウル初見プレイで

一度死んだらゲームオーバーみたいな感覚でしょうか

 

ダンジョン飯と同じような下層へと潜る話なのに

あちらはwizと同じく死んでもあっさり生き返る仕様ですが

(時間制限があるのでそうも行きませんが)

メイドインアビスはそうは行かないところが

そしてちょくちょくピンチに陥るところが

非常に目が離せない内容となっています

 

これだけ書くと何だか救われない話ですが

非常に世界観が美しいです

恐らく、とても作り込まれた世界です

作品中には出てこないでしょうが、隠された設定が

とても沢山あるんだと思います

 

隙のない世界だからこそ、死を重く感じる事が出来る

そんな気がしています

 

物語の最後にあるのは希望か絶望か

どういう終わり方をするのか非常に楽しみです

(恐らく多くの絶望と、ほんの僅かな希望が残ると予測しています)

FEZの思い出

2007年 夏

私は一つのネトゲを始めた

それがFEZ ファンタジー・アース・ゼロである

 

今までROのテストにノートPCで参加し

MAP切り替えのロード中に敵にやられる事を繰り返し

結局すぐに飽きてやめた後に

ゴルフゲームのパンヤというのをプレイしていたが

上級者に全く勝てない事と、やはりPCのスペック不足もあり

結局いつの間にかプレイしなくなった

(今調べたらまだありました!驚きです)

 

友人がプレイしているのを見て、こんなに沢山の人が一度にゲームをプレイし

リアルタイムで動く戦場を見て、これは面白そうと思い

丁度古くなっていたPCを買い換えた事もあり、ゲームを開始

戦闘は正直下手であったけど、全体を見渡して指示を出したり

統括すると言う仕事が非常に気に入った事もあり、どうやれば試合に勝てるのか

どう動けば、負けないのかを考え、試行錯誤する日々が続いた

色々な人に出会った

ネトゲは人生の縮図だ」という言葉は

まだ私の中で残っている。確かにそうだ

ネトゲは、遊びじゃない。いや、ネトゲだけじゃない

全ての事は人生という限られた時間の中で行っているので

全てのことが、人生の縮図であると私は思う

 

それから4年くらいは、本当に来る日も来る日も、FEZをプレイしていた

朝起きて、まずFEZ。朝食とお昼のお弁当を作り職場へ

仕事が終わってすぐさま夕食を作り、入浴を済ませ

明日の準備をしたら午後9時過ぎからFEZ開始

丁度部隊メンバー(いわゆるギルド)は社会人が多く

夜の12時にはみんな寝る事が多いと言う

何とも健全な部隊であったと思うw

 

ゲーム内で講習会なども行ったりしたのも良い思い出である

リアル仕事でも「人に物事を説明する」という事を行っているので

どうすれば相手に分かりやすく物事を伝えることが出来るのか

と言う事を随分考えたと思う。上達したかは不明であるけども

 

そんなFEZも私の居たサーバはとにかく人が少なかった

少なかったので、段々人が減り、最終的にはゲームが成り立たないほどに

少なくなってしまったのである。で、サーバ統合と

その頃にはかなりFEZへの情熱も低下してきており

(写真などを撮り始めたのがその頃である)

サーバ統合後はあまりプレイしなかったと言うのが本当のところである

 

で、そんな思い出のゲームFEZが明日で一区切り

運営がゲームポットからスクエニに切り替わるのだ

一体この変化でどうなるのか

ゲームの根底は変わらないと思うけど、スペック的に果たして私はプレイ出来るのか

そして、陣取り合戦なのに中央にばかり人が集まってしまい

結局負ける通称「中央病」はどの程度治るのか

(正直中央病が嫌で統合後はプレイしなくなった感じが強い)

 

とりあえず、スクエニに切り替わってもプレイできるように

準備だけはしているけど、写真だけじゃなく色々プレイするゲームも増えた今

(特にスプラトゥーンとか)

FEZをプレイする時間はあるだろうかと思う

 

でも、私は忘れない

部隊で一緒に過ごしたあの時間を

私の下手なバッシュについてきてくれた味方を

 

だから、運営が変わり一区切りついてしまって寂しいけど

もう会えない人もきっといるだろうから、寂しいけど

それでも、私はFEZにこう言おう

 

素敵な時間を、本当にありがとう

 

きっとここを見てる人で、FEZユーザはあまり居ないだろうから

これを読んでもなんじゃらほいという感じだろうけど、

もし一緒にプレイしてみようと思う人がいれば、嬉しいなと思います