すごい 雑感

思いついた事を書いていくところです

記録と記憶の違いについて

東日本大震災から9年と言う事で

本日は色々な行事があるはずでしたが

新型コロナウイルスの影響で式典はおおよそ中止となりました。

賛否両論あるでしょうが、今のご時世なかなか開催は難しそうです

 

本日は、敢えて批判覚悟で書かせて貰います

 

それは、震災の記録と記憶に関してです

 

記憶に関しては

大切な人を亡くした方もいるでしょう

住んでいる土地が住めなくなった方もいるでしょう

それは理解した上で、その人達がこういう節目に故人や故郷を偲ぶとか

そう言うことをダメと言っているのではありません

ただ、それは全国民的に強制すべきものでも無いでしょう

 

それよりも大事なのは記録の方で

今回の震災で、何がどうなったのか。とか

何故ここまで被害が大きくなったのか

また、どうすれば被害を減らせたのかと言う

客観的な事実を集めた記録を、きちんと残すべきだと思います

 

今回の震災や、太平洋戦争に関しては、まだ生きている方もいる事から

戦後何年や震災から何年とされていますが

例えば関ヶ原の戦いから何年とか、戊辰戦争応仁の乱から何年という事に関しては

何故ニュースにならないのでしょうか。何故みんなで黙祷しないのでしょうか

それは、過去のイベントだからでしょうか?当時の人はみんな亡くなったから?

何か少し違和感があります。同じく沢山の人が亡くなっているんですよ

 

残された人の気持ちも大切だとは思います

それでも、それよりもこうやって名前が残るイベントというのは

何故、どうしてと言う事をきちんと残しておくことで

後世の人が、未然に何かを防げたり、人の命が救えたりすると思います

 

記憶から忘れられてしまい、何もなかった事にしないためにも

きちんと記録として残しておくべきだと思うのです

 

忘れるというのは、そんなにも悪いことでしょうか

忘却は救済だと私は思います

嬉しい気持ちも楽しい気持ちも、悲しい気持ちも

全て忘れていくものです。そうしないと、多分生きていけないのだと思います

生きているのは、今です。そこにフォーカスを当てないで、どこにフォーカスを当てるのですか